第10回レイルウェイ・デザイナーズ・イブニング(RDE)
RDEフォーラム2024 in宇都宮
ライトラインが描くまちの未来 ―芳賀・宇都宮ライトレールの誕生と 都市のデザイン―
2024年11月28日(木)〜29日(金) 宇都宮市(会場:ライトキューブ宇都宮)
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■ RDE10周年を迎えて
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■ RDE10周年を迎えて
鉄道分野のあらゆる技術が横断的に会する総合見本市として、千葉県の幕張メッセで隔年に開催される「鉄道技術展」。その場で「鉄道のある景観~環境、景観、デザインから鉄道を考える~」というセミナーが企画されたのは、2013年のことだった。
鉄道技術展でありながら、技術以外をテーマにした異例の内容だったが、蓋を開けてみれば予想以上の聴衆が詰めかけた。そこで翌年、鉄道デザインに携わる人の交流によって幅広く鉄道デザインを考えていきたいとして、レイルウェイ・デザイナーズ・イブニングRDE実行委員会が結成され、2015年から毎年「RDEフォーラム」を開催することになった。
10周年を迎えた今年は、2023年8月に開業以来、予想を上回る利用者数を記録している芳賀・宇都宮LRT(ライトライン)が走る栃木県宇都宮市が舞台となった。しかもフォーラムの翌日には、運行事業者である宇都宮ライトレールの車両基地見学会も企画され、RDEとしては初の2日間開催になった。また今回のテーマが関心をひいたのか、参加者も200名を超える状況であった。
フォーラムの司会はRDEではお馴染みとなった鉄道好きのフリーアナウンサー、久野知美氏が担当。まず近畿車輛で長年国内外の鉄道車両デザインを担当し、現在同社顧問を務めるRDE実行委員会委員長の南井健治氏が開会の挨拶に立った。
南井氏は「偉い先生を呼んだ講演会にはせず、実際に担当した人の苦労を聞き、パネルディスカッションで深掘りしていきたいと考えていました」と10年前を振り返り、今回は自治体、運行事業者、デザイナーの3者に話を聞いたうえで現場や現物を見て、何か参考になるものがあれば嬉しいと語った。
続いて概要説明を行ったRDE実行委員で月影デザインコンサルティング代表の山田晃三氏は、このLRTのトータルデザインを手掛けたGKデザイングループの相談役として、プロジェクトに関わった経験も持つ。
同氏は「技術」が多くの人を惹きつける理由として、常にバージョンアップしている点を指摘。「人が2本足で立ち上がったところから技術が始まりました。前足(手)で道具を使いはじめたからです。続いて後ろ足のために靴、コロ、車輪を作りはじめ、鉄の車輪とレールを組み合わせ、蒸気や石油や電気で走らせるという過程を経て今に至っています」と鉄道技術の進歩の流れを解説した。技術にはこうした「テクノロジー」という側面もあるが、人が人や組織を動かす「テクニーク」という側面もあるとし、その優れた人物として、3人の講演者を紹介した。
キーノート・スピーチは、宇都宮市建設部長の矢野公久氏および宇都宮ライトレール常務取締役の中尾正俊氏による基調講演、およびGK設計取締役の入江寿彦氏によるトータルデザイン・レクチャーという構成だった。
南井氏の言葉どおり、ライトラインのデザインについて3つの立場から同時に聞くという場は貴重で、LRTを多角的に知る絶好の機会になった。
宇都宮市役所で20年以上LRTに関わってきたという矢野氏は、まず市の概要を説明し、首都圏のテレビCMでも流されたシティプロモーションの動画を紹介しつつ、この1年あまりの感想を語った。
「予想を上回るたくさんの人が乗っていて、夢じゃないかと思うことがあります。宇都宮市の人口が減少傾向なのに対して、沿線では約8%も人口が増え、地価も商業地、住宅地ともに、市全体では下落しているのに沿線は上昇しています。週末はLRTに乗るために宇都宮を訪問する人も多く、成功例として認められつつあると実感しています」
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■ 開業までの長い道のり
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■ 開業までの長い道のり
しかしながら、開業までの道のりは長く険しかった。LRTには軌道法と都市計画法の双方で認可手続きがあり、認可取得までの協議回数は3年間で450回以上になり、申請書類は約1200点に上ったとのこと。車両も設計から製造に至るまでの間に、合わせて何十回もの打ち合わせがあったそうだ。
市民理解についても、自動車での移動が中心で、路面電車の文化を知らないこともあり、当初は苦労したという。
オープンハウスや市民フォーラムを開催したものの、まだ工事が始まらず、車両のデザインも決まっていなかったので、一気に賛成にはならなかった。宇都宮駅東口ではフランスのストラスブールを走るLRTの写真をパネルで掲示したが、非現実的だという声が上がった。
しかし軌道や車両など、目に見えるものが出てくると、みんなの意識が変わっていった。たとえば停留場の壁面のデザインは、各地域とのワークショップで決めたが、この頃には車両もあったのでスムーズに進んだそうだ。
「工事現場の見学会の応募者は790人と定員の3.5倍ぐらいになり、車両の見学会では2万5400人から応募があって、倍率は7.1倍に跳ね上がりました。風向きが変わったと実感しました。その後も事業費が増えたり、開業日が伸びたり、試運転で脱線があったりしましたが、なんとか2023年8月の開業に漕ぎ着けることができました」
LRTには市役所だけでおよそ500人が関わったとのことで、誰ひとり欠けても開業はできなかっただろうと話していた。そして現在も市長を務める佐藤栄一氏からは、車両デザインにはこだわってくれという言葉が掛けられた。
きっかけとなったのは福岡県を地盤とする、ある国会議員の言葉だった。同氏の地元を走るJR九州筑豊本線にスタイリッシュな新型車両が導入されたところ、街並みや市民の服装が洗練されていったというのだ。「宇都宮も変えられる」という思いが、デザインへのこだわりにつながっていったという。
市役所の中だけでも、たくさんの人たちが夢の実現のためにワンチームになった。それが今の高い評価に結びついたのではないかと矢野氏は振り返った。
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■街を変えるデザイン
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■ 街を変えるデザイン
続いて基調講演に立った中尾氏は、広島市で路面電車を走らせる広島電鉄に42年間在籍し、常務取締役まで務めたあと、宇都宮にやってきたという経歴を持つ。
1967年に広島電鉄に入社した頃は、モータリゼーションの影響で多くの路面電車が廃止されていた時期だった。その理由について中尾氏は、軌道内の自動車通行を許したことを指摘し、その中で広島電鉄が残るきっかけになったエピソードを明かした。
「当時の広島電鉄の電車部長と広島県警察の交通規制課長の、運命的な出会いがありました。その結果1971年12月に広島県公安委員会が、軌道敷地内諸車乗り入れ禁止措置を実施。定時性や速達性が復活したことから、たちまち全国に広まりました。そのとき残っていた18事業者は、今も健在です」
利用者が戻った広島電鉄は、輸送力を高めるべく、京阪神などから車両を導入した。「動く交通博物館」と呼ばれるようになったのはこの頃からだ。しかしヨーロッパに視察に行くと、停留場との段差がないバリアフリー車両に出会い、衝撃を受けることになる。その中からドイツのシーメンス製車両を、「グリーンムーバー」の愛称とともに1999年に導入した。デザインは前出の山田晃三氏が担当した。
そんな中尾氏が宇都宮に来たのは、2015年に宇都宮市長・副市長や芳賀町長から、直々に誘いを受けたからだった。すでに70歳を迎えていたが、お子様たちは集大成としてやってみてはと支援し、奥様は健康管理者として同行することになったことから、2015年に設立された運行事業者、宇都宮ライトレールの常務取締役に就任した。
中尾氏は宇都宮で苦労した点として、人材確保を挙げた。鉄道にも運転免許はあり、一般的な鉄道を運転できる甲種と、路面電車やLRTのような軌道を運転できる乙種があるが、乙種の免許を持っている人が数人しかいなかったそうだ。
そこで同業の8社に候補者を派遣し、座学や運転訓練などをお願いした。幸いにして全員合格したとのこと。さらに運転部長は函館市交通局、技術部長は長崎電気軌道から、定年退職しようとしていた人に来てもらった。将棋で言えば飛車と角が揃った状況で、これで運行や保安はやっていけると思ったそうだ。
中尾氏が強調していたのは、LRTは路面電車ではなく、次世代型の新交通システムであるということ。車両が低床でバリアフリーというだけでなく、街に賑わいを生み、活性化をもたらす。広島には路面電車の他に、アストラムラインという新交通システムがあるが、それに近い存在だと語った。
そしてデザインについての話では、宇都宮市長と同じような内容が出た。
「誰もがあの電車に乗ってみたいと思わせる形をお願いしました。具体的には流線型になるよう、先頭を1.5m前に出しました。おかげで想定外の利用があり、街が賑やかになりました。箱型だったら誰も見向きもしなかったでしょう」
ライトラインが成功したのはこのデザインによるところが大きいという言葉は、半世紀以上にわたり軌道系交通に携わる人だけに説得力があった。
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■ 「雷都を未来へ」
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■ 「雷都を未来へ」
こうした言葉を受けて入江氏は、1970年の大阪万博のモノレールを皮切りに、前述した広島アストラムライン、自身も関わった富山ライトレール(現富山地方鉄道)富山港線などでGKデザイングループが実践してきた、トータルデザインの説明から始めた。
「公共交通におけるトータルデザインとは、車両、駅舎、情報など交通システムを構成するモノやコトを、プロダクト、空間、情報といった既存のデザインの領域を超え、利用者の体験を起点とした総合的な視点でデザインする手法と考えています」
まず注目したのは、「雷様・稲妻」だった。この地域は夏の雷が多いがゆえに「雷都」と呼ばれているが、それはネガティブな意味からではない。「稲の妻」と書くとおり、 田畑に豊作をもたらす「恵みの光」として尊ばれており、「雷様(らいさま)」と呼ばれてきたのだ。
雷が豊作をもたらすことは科学的にも証明されている。雷の放電により、空気中の窒素と酸素が結び付いて窒素酸化物となり、それが降雨によって地中に染み込むことで、稲の肥料になるというものだ。 ここから導き出したコンセプトが、「雷都を未来へ」だった。雷都にLRT(ライトレールトランジット)を掛け、雷がそうであるように、LRT が未来へ向けて地域に恵みをもたらすとともに、地域の歴史・文化や風土性を取り込むことで、土地に対する愛着や誇りを深め、美しい風景を次世代に継承してもらいたいという気持ちも込めた。
続いて入江氏はトータルデザインの構造を解説。車両は街のシンボルとして強いメッセージを発する「図」、駅や軌道などの施設は車両を引き立て沿線景観にしっくり馴染む「地」の存在と定義し、シンボルマークやサインなどは両者の「繋ぎ」と考えたという。
車両のデザインは、未来へと牽引していく新しさと、街の顔となるような独自性を重視したとのこと。3案を用意して市民アンケートを行った結果、雷の光とライトラインのLを描いた案が支持された。 一方で流線型については、こんなエピソードを明かした。
「先頭を伸ばすと、ピラーも前に移動し、運転士の視界が妨げられるので、ピラーを先頭に行くに従い細くしました。原寸大のモックアップを作り、関係者全員で確認しながら改善していきました。車両設計のエンジニアのご協力もいただきました」
さらに車輪の見えない低床車両であることを強調すべく、下端に一直線のイエローラインを入れ、視界の良さをアピールするために、窓まわりは全体を黒くして広く見せた。
インテリアは、自動車移動からのシフトを促すべく、自動車にも負けない上質で快適な空間を目指したとのこと。間接照明の採用、グレードの高い優先席、天然木をあしらった吊り手などで、従来の通勤用車両とは違う居心地の良さを目指したそうだ。
施設のデザインは、車両と風景を引き立てるためにダークグレーで統一。市街地から田園地帯へと風景が移り変わっていくことも特徴なので、「地」に徹した。シンボルマークには、ライトラインの頭文字「L」を起用し、車両デザインと類似性を持たせることで、直感的にライトラインの停留場とわかる機能を持たせた。
さらに地域の歴史や文化を取り入れ継承する試みとして、雷紋モチーフのパターンを車両の座席や日除け、ユニフォームのネクタイ、駅のグララフィックなどに展開している。細部に至るまでストーリーのあるデザインを織り込んでいることに感心した。
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■ 地域文化の象徴である鉄道として
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■ 地域文化の象徴である鉄道として
パネルディスカッションでは、中尾氏と入江氏に加え、RDE実行委員であり宇都宮市にある文星芸術大学で教鞭を執る近代建築・デザイン史家の橋本優子氏がパネリストを務めた。
モデレーターを担当した南井氏は最初にLRTについて説明、日本では次世代の路面電車と定義されているが、路面電車は軌道法という古い法律で規制されている部分があり、諸外国の例をあげてもっと使いやすくすることができるとした。南井氏が最初に尋ねたのは、LRTの整備に際して組織された「LRTデザイン部会」についてだった。
部会のメンバーだった橋本氏は「2016年8月に、芳賀・宇都宮基幹公共交通検討委員会のなかに専門部会として作られました。これに先行する同年4月に、LRT車両設計事業者選定プロポーザルが実施されています。部会には地元の有識者や軌道事業者などがメンバーとして参加したので、車両設計事業者の提案がその地域に適切かどうかを判断できました」と説明した。
軌道事業者側として参加した中尾氏は、「私たちにとってはお客様が相手なので、簡単に乗れる、バリアフリーな車両が欲しいとお伝えしました。それとさきほども言いましたが、流線型で近未来的な、老若男女が乗ってみたいと思わせるものをお願いしました」と当時を振り返った。
続いての質問は、鉄道は地域文化を象徴するものだと思っているが、均一化が進んでいるなか、地域文化をどのように考えているかというものだった。
これについてはまず入江氏が、「たしかに均一化はしてはいますが、四季があって、地形が多彩で、気象の変化が大きいという日本の風土は世界的にも珍しく、まだまだ埋もれている文化があると思っています。それらを掘り出すことが大切で、『この街はこうだったよね』という感じで土地の人たちと話し合っています」と報告していた。
橋本氏は30年にわたる宇都宮市での生活を振り返りながら、「自然と人間、過去と現在がつながって、それが地域文化を生み出しています。大谷石も雷も太古からこの地にあり、ライトラインとつながっています。こうした文化的価値を、地域の人たちに知っていただけるよう考えるのが、デザイナーや研究者、行政の努めだと思っています」と語った。
南井氏はさらに、これから日本でもっとLRTを広めるにはどうしたら良いかという質問も投げかけた。
中尾氏は事業者の立場から、「仲間を増やしたいと思っているので、いろいろ応援に行っています。国交省の補助制度は良くなっているし、上下分離方式もあります。ライトラインも上下分離を導入したおかげで、初年度から黒字になりました」と想いを述べた。
国内各地で公共交通のデザインに関わってきた入江氏は、「日本の国土の7割は住めない土地と言われ、平地に1億人以上がいます。人口密度が高く、道路は狭いので、レールは敷きにくいし、車線が減るので渋滞するのではないかという不安を抱く人もいます。やはり自動車と対決するのではなく、共存することがキーになりそうです」と話した。
パネルディスカッション終了後は情報交流会へと移行。そして翌日の車両基地見学会へとプログラムは進んだ。
路面電車の新規路線としては75年ぶり、しかも予想以上の利用者を記録したことで注目のライトラインを多彩な角度から知り、多様な人々と語り合ったあと、実車に触れるという流れは、LRTのフルコースと呼びたくなる内容だった。とりわけLRTの導入を検討している自治体や事業者にとっては、かけがえのない時間だったのではないだろうか。
記録:森口将之/モビリシティ
写真:橋本優子、イカロス出版、GKデザイン機構
